歴史の勉強に!語呂合わせ暗記マラソン9【明治時代】1868年〜1912年

暗記マラソン明治時代

※記事内に広告を含みます。

今回は「明治時代」の近代化する歴史を覚える為に、語呂合わせを詳しく紹介したいと思います。

幕府による政治が終わり、西洋文明が日本のあり方を急変させた時代です。生徒さんと二人三脚で頑張ってください!

まずは明治時代の背景を知ろう

明治天皇が即位し改元した1868年から、明治天皇が崩御・大正天皇が即位した1912年までを明治時代と言います。

西洋の制度・文化・技術を積極的に取り入れ模倣し、欧米列強に並ぶ国家を作ろうとした時代です。文明開化により、人々の暮らしは大きく変化しました。

数々の改革や運動、明治時代を代表する建築物など、年号と事象の暗記は必須でしょう。

暗記マラソンスタート!明治語呂合わせ一覧

暗記マラソンスタート!明治語呂合わせ一覧

色々な語呂合わせをテンポよく覚えていこう!独自のリズムに乗せれば更に覚えやすくなるかも!?

「ひとつやろうや(1868)、明治維新」
1868年:徳川家が没落し、政権が天皇家に戻る。明治時代がはじまる。

「人は無口(1869)な、版籍奉還」
1869年:各藩主が土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返還。

「一つの藩もない(1871)、廃藩置県」
1871年:藩を廃止し、府県を設置。

「人は何(1872)より教育が大事」
1872年:学制公布。学生とは日本最初の近代学校教育制度に関する基本法令のこと。

「嫌なに(1872)おいの、富岡製糸場」
1872年:富岡製糸場操業。

「人はなみ(1873)だの、徴兵令と地租改正」
1873年:徴兵令・地租改正が発布される。

「いやな世(1874)の中、佐賀の乱」
1874年:佐賀の乱がおこる。

「虐殺とは酷いはなし(1874)だ、台湾出兵だ」
1874年:征台の役(台湾出兵)。

「朝鮮に嫌なム(1876)ードの修好条規」
1876年:日朝修好条規の締結。

「嫌なな(1877)いらん、西南戦争」
1877年:西郷隆盛らが起こした反乱。

「人は、泣く(1879)泣く教育を受ける、教育令」
1879年:教育令が公布される。

「批判はゼロ(1880)、集会禁止」
1880年:自由民権運動弾圧のために集会条例が制定される。

「人は歯を(1880)くいしばって、民権運動」
1880年:国会期成同盟結成。

「人は拝(1881)聴、国会開設の勅諭」
1881年:国会開設の勅諭(国会開設の詔)。

「いち早い(1881)結党、自由党」
1881年:自由党結成。

「いや、はよ(1884)減税してくれ、秩父事件」
1884年:秩父事件がおきる。

「冷奴(1885)内閣誕生」
「伊藤パパGO-」伊藤博文 内閣総理大臣
1885年:伊藤博文内閣制度の創設。

「いち早く(1889)公布、大日本帝国憲法」
1889年:大日本帝国憲法が交付される。

「さらなる飛躍を(1890)、最初の選挙」
1890年:第一回衆議院議員選挙が行われる。

「一度白紙(1894)に戻そう、治外法権」
1894年:治外法権が撤廃される。

「一発急所(1894)で清破る」
1894年:日清戦争(1895年まで)

「一夜(18)限りの下関条約、苦言(95)を呈す三国干渉」
1895年:下関条約が結ばれる。その後三国干渉で遼東半島を返還させられる。

「反乱だ、人加わ(1900)る義和団」
1900年:北清事変がおこる。

「勢い(1901)のよい八幡製鉄所」
1901年:八幡製鉄が操業開始する。

「遠くをに(1902)らむ、日英同盟」
1902年:日英同盟が結ばれる。

「行くわよ(1904)ロシアへ、日露戦争」
1904年:日露戦争開戦。

「ひどくおこ(1905)られ、ロシアと和解」
1905年:ポーツマス条約

「韓国へ、いくどー(1910)!」
1910年:韓国を併合する。

「低い位置(1911)から這い上がる、関税自主権回復」
1911年:関税自主権を回復させる。

Pick Up!明治の重要な事柄の語呂合わせ

Pick Up!明治の重要な事柄の語呂合わせ

テストや受験でよく出題されるポイントや覚えておくべき大きな事柄をピックアップしました。

人はなみ(1873)だの、徴兵令と地租改正
1873年:徴兵令・地租改正が発布される。

ヨーロッパに習い、満20歳になった男子に兵役の義務を定めました。当初は多くの免役規定もありました。(徴兵令)

それまで米で税を納めていましたが、現金で土地の価格の3%の納税に切り替えられました。その後国民の反発により2.5%に引き下げられました。

一夜(18)限りの下関条約、苦言(95)を呈す三国干渉
1895年:下関条約が結ばれる。その後三国干渉で遼東半島を返還させられる。

日清戦争にて勝利を収めた日本は下関条約にて清に対し、朝鮮の独立、賠償金、最恵国待遇、遼東半島・台湾・澎湖諸島などの領土の譲渡を認めさせました。

しかしながら、南下政策を進めていたロシア、ロシアと同盟国のフランス、ロシアの南下政策を東アジアに向けさせたかったドイツの三カ国が遼東半島の譲渡に反発し、政府が受諾。その後世論が反ロシアに傾いたことから、日露戦争のきっかけになったとも言われています。

勢い(1901)のよい八幡製鉄所
1901年:八幡製鉄が操業開始する。

軍事力の強化や産業の発展により、鉄鋼の生産増大が必至となり、建設された官営製鉄所(当時)。

明治日本の産業革命遺産として関連施設の一部が世界遺産に登録されています。

ココさえ押さえれば完璧!?明治時代のポイント

ココさえ押さえれば完璧!?明治時代のポイント

POINT.1
文明開化
明治政府が西洋の文化を積極的に取り入れて、急速に西洋化が進みました。

産業や技術、政治など以外にも、建築物、服装、食べ物など風俗面でも西洋風が流行しました。これら西洋式の文化が取り入れられたのは、主に東京、大阪、神戸、横浜といった都市部や港町が中心で、地方では一般化していませんでした。

また、活版印刷の技術により、新聞や雑誌も大量に生産されるようになりました。

POINT.2
富国強兵と殖産興業
欧米列強の東アジアへの進出による危機意識や幕末に結んだ不平等条約等の失敗から、明治政府は外国に追いつき、国家を自立維持するために「富国強兵」という、経済発展と軍事強化による近代的国家の建設を目標としたスローガンを掲げました。

殖産興業とは近代産業機械や技術を新たに取り入れ、通信、造船、鉱山、紡績等の事業や工場を建設し、資本主義的な産業を増やして保護するという政策です。富岡製糸場や八幡製鉄所など。

POINT.3
自由民権運動
薩摩藩と長州藩出身の政治家のみで行われていた政治に対し、板垣退助らは国民が政治家を選ぶべきだと主張し反発します。(民撰議院設立建白書

こういった自由民権運動は多くの人に広がり、国会の開設を政府に約束させることになりました。国会に向け、板垣退助は自由党を、大隈重信は立憲改進党を創立しました。

明治時代のまとめ

日本史に興味のない子供にとって、明治時代の年号や制度、事柄を記憶するのは簡単なことではありません。

これまでの貴族や武士が活躍した時代とは違い、近代化による新たな産業や外交上での出来事なども把握する必要があります。ただ教科書や参考書を読むだけではなかなか頭の中に入らないでしょう。

そういう時は語呂合わせを使用して少しでも楽しく進めるといいでしょう。

日常的に語呂合わせで学ぶ事も出来る、歴史アプリや動画などもたくさん発表されています。

オリジナルの語呂合わせを考えたり、面白い語呂合わせを見つけて楽しむことが出来れば、きっと記憶に残るはずです。

次回は大正時代です。お楽しみに!

2 COMMENTS

ポンポン

伊藤パパGO-(伊藤博文 内閣総理大臣 1885年)はどうでしょうか。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です