歴史の勉強に!語呂合わせ暗記マラソン1【縄文時代・弥生時代】約1万4先年前〜3世紀

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今回の記事では「縄文時代・弥生時代」の主な事柄や名称を覚えるための語呂を詳しく紹介したいと思います。

いよいよ日本史のスタートです。狩りや採集の暮らしから稲作が伝来して日本の土台が出来てきました。さあ、ゴールを目指してどんどん覚えてみましょう!

まずは縄文時代・弥生時代の背景を知ろう

紀元前14,000年頃から前数世紀までの縄文土器が使用されていた時代を縄文時代

稲作が広まり、弥生土器を使い竪穴住居に住んだ時代を弥生時代と言われています。稲作の開始時期は縄文時代後期にはすでに始まっていたという説もあり、確定はされていません。この時代を弥生時代早期と呼ぶ場合もあります。

POINT

全国で発掘されている遺跡、道具類の名称や特徴、場所、発見者などを覚える必要があります。また、狩猟時代から農耕時代への移り変わりで変化した人々の生活の流れなども把握すると暗記もスムーズにできるでしょう。

暗記マラソンスタート!縄文・弥生語呂合わせ一覧

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色々な語呂合わせをテンポよく覚えていこう!独自のリズムに乗せれば更に覚えやすくなるかも!?

「私のリンゴ三個ない
三内丸山遺跡さんないまるやまいせき(青森)

大盛りモスバーガーを東京で食べる」
大森貝塚(東京・発見者:モース)

服を板につけて、魚畑へ」
板付遺跡(福岡)・菜畑遺跡(佐賀)

長いのは、には酷よ
黒曜石(長野県和田峠)

ナウマンゾウの尻長いのう」
ナウマンゾウの化石が発見される(長野県野尻湖)

大きな川で、静か葉巻をくわえる」
港川人(沖縄県)・浜北人(静岡県)

「こんな(57)金印、もらっていいの?」
57年:奴(なの)国王が後漢に使いを送り、「漢委(倭)奴国王」の金印を授かる。

「奴隷な(107)らべて推奨します」
107年:倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口160人を献上する。

「卑弥呼から文く(239)る魏の国」
239年:邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送り、「親魏倭王」の称号をもらう。

「不振な(247)空気の邪馬台国」
247年:狗奴国の卑弥弓呼と戦う。

Pick Up!縄文・弥生の重要な事柄の語呂合わせ

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テストや受験でよく出題されるポイントや覚えておくべき大きな事柄をピックアップしました。

服を板につけて、魚畑へ
板付遺跡(福岡)・菜畑遺跡(佐賀)

縄文時代晩期に稲作がすでに行われていたことが明らかになった遺跡です。菜畑遺跡は1979年に発見されました。板付遺跡では1916年に矛などが出土していましたが、稲作が行われていたことが明らかになったのは1950年です。

また、板付遺跡は日本最初期の環濠集落(周囲に堀が作られた集落)でもあります。

こんな(57)金印、もらっていいの?
57年:奴(なの)国王が後漢に使いを送り、「漢委(倭)奴国王」の金印を授かる。

倭(国号が日本となる以前の名称)、現在の福岡付近に存在したとされる奴国の王が、後漢王朝の初代皇帝「光武帝」に朝貢し、外交交渉が始まりました。

「後漢書」によると光武帝から、冊封の印として純金製の「漢委奴国王印」授けられたとされます。

卑弥呼から文く(239)る魏の国
239年:邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送り、「親魏倭王」の称号をもらう。

邪馬台国の女王であった卑弥呼が220-256年の間中国華北を支配した王朝「魏(ぎ)」に使者をおくり、第二代皇帝・曹叡より「親魏倭王」という称号を与えられたとされています。

ココさえ押さえれば完璧!?縄文・弥生時代のポイント

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POINT.1
縄文土器
モースにより発掘された大森貝塚(東京)にてはじめて見つかった土器です。現在の日本列島各地で縄文時代に作られた土器を指します。
特徴的な縄目文様から縄文土器と呼ばれるようになりましたが、すべての縄文土器に縄目文様が施されているわけではありません。
POINT.2
縄文時代の人々の暮らしと変化
長く続いた縄文時代の早期と晩期では人々の暮らしは全く違うものになります。旧石器時代から縄文時代早期に気候が変化し大型の動物が減ったとされ、小型哺乳類の狩猟に変化したと考えられています。
また海面が上昇したことにより、魚や貝が取れるようになり、漁も行われていたことが遺跡から明らかになっています。狩猟、漁、木の実などを調理する過程で多くの道具が作られたことがわかります。
晩期には大陸から水稲耕作が伝わったとされています。
POINT.3
大森貝塚・三内丸山遺跡
大森貝塚は縄文時代後期以降の貝塚(当時のゴミ捨て場)とされ、エドワード・S・モースによって発掘されました。貝殻や骨だけでなく土偶や土器なども発見されています。
三内丸山遺跡は縄文時代中期の大規模集落の跡地です。ここで出土した土偶は板のように薄いものであり「板状土偶」と呼ばれています。
大規模な居住地やヒョウタンなどの栽培も行われていたことが明らかになっており、一つの大きな集落を人々が築いていたことが分かります。
POINT.4
水稲耕作(すいとうこうさく)の伝来
水田で栽培された稲を水稲と呼びます。縄文時代晩期に水稲耕作が大陸から伝えられたとされていいますが、縄文時代前期の地層から稲のプラント・オパールが出土しており、現在も研究がつづけられています。
米の貯蔵容器として壺型の弥生土器が多く使用されたと考えられています。

縄文・弥生時代のまとめ

縄文・弥生時代に興味のない子供にとって、数多くの遺跡の場所と発見者を記憶するのは簡単なことではありません。

道具や文化の名称もなかなか頭の中に入らないでしょう。そういう時は語呂合わせを使用して少しでも楽しく進めるといいでしょう。

日常的に語呂合わせで学ぶ事も出来る、歴史アプリや動画などもたくさん発表されています。オリジナルの語呂合わせを考えたり、面白い語呂合わせを見つけて楽しむことが出来れば、きっと記憶に残るはずです。

次回は古墳時代・飛鳥時代です。下のバナーから次の時代へLet’s TRIP!!!!

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